偶然=直観

ここ最近、改めて感じていることがある。
それは、「たまたまなんです〜」「偶然だと思いますが〜」などと言っている(謙遜かもしれない)ことが、実は「直観」や「必然」であることだろうということ。
それは、友人や大切な仲間や身内から聞かされることでもあるし、大切なクライアントさんから語られる内容でもある。
私を取り巻く誰であれ、その心の内を打ち明けたり、たんに愚痴を言ったりする間だとしても、私に相談を持ちかけられたなら時間の許す限り真摯に取り合っているつもりです。もちろんクライアントさんなら全身全霊で取り組んでいる次第です。
そこで次に思うのが、こうして私が相談を聴いて一緒に考えたり、その人の奥底を引き出したりした結果、その人がどのようにその後の日々を過ごしているのか・・どのように感じ考え行動しているのか・・正直次回会うまでは想像できないものでもあるのです。
だから、次に私に会った時や電話でもメールでもその様子を教えてくれない限り、その人がどのように歩みだしたのかわからないのですが、最近はその後を知ることが多々ありました。
多くの人は悩んだ時にはその内容を聴いてもらったりアドバイスを求めたり関わりを求めたりしますが、その一番苦しいところを超えると結果はどうあれ結果をお知らせすることなく連絡がなくなったりします。
それが、健康的に幸せな道を歩まれているなら安心ですが、正直ちょっと心配だったり気にかかったりすることも多々あります。
ここ最近私の耳に直接聴くことは、行動を起こしたことで出会う人や見つける情報が変わったこと(好転)そしてその気持ちの持ちようが変わったこと、だから更に行動が変わったこと、というものでした。
先ずは当の本人が自分の中だけで悩んでいたことを吐き出したり、セッションを受けるという努力をしたことが始まりだと思うのです。すると会話やセッションの中で「気づき」があります。すると気づいたことからいつもとは一歩違った行動を起こすことになります。すると出会いが広がります。更に出会いは新しい気づきや環境をもたらします。すると世界は更に広がります。そして未来が楽しみになってきます。目標も見えてきます。だから今にできることが見えてくるし頑張っていける力が湧いてきます。
そんなお話を聴かせてもらうと本当に嬉しくなります。
だって、以前会ったその人の表情と全く違うのですから。固く動かなかった表情が和らぎ、下を見ていた目が私の目を見つめ、下がった口角が笑っているのですから。こんなに嬉しいことはありません。
人に悩みを相談した結果、「たまたま」=「必然」なのか「偶然」にTVや雑誌や人から情報が入ってくることがあります。その情報が更に自分を勇気付けます。
そして、時には「たまたま」人に相談をしたりセッションを受けることによって少し心が軽くなり、行動範囲が広がります。そして行動範囲が広がったことで新たな自分の趣味や可能性を広げる場にでることを行動し出します。
世界が広がるとどんどん楽しくなります。
そんな、お話を聴いているとぞくぞくするほど嬉しくなるのです。
私もそのきっかけの一部になっていること、小さかった一部がどんどん広がっていくこと、そしてその人自身が幸せな気持ちになっていることです。
皆さんそれを「偶然」とおっしゃいますが(謙遜していますが)私はその人の底力だと思いますし、内側からくる「直観」だと思っています。この自分の直観に耳を傾けて行くとどんどん自分で自分を高めていけるのではないかと思います。
「これって偶然?」と思ったならば「必然のひらめき=直観」だと気づいて受け止めていくことを感じてみてはいかがでしょうか。
悩んだ答えはご自身の内側から答えがでるものですよ。そこを受け入れるとなぜか外側からも情報が入ってきます。
時には外側から情報が入ってから内側に答えが来ますしね。
先ずは自分の中にある疑問や悩みを誰かに語ってみること。その行動からパンドラの箱は開かれます。
本当はパンドラの箱は開いてからがお楽しみなのです。